前回の記事では、大学に入学してから進学先が決まるまでの1年半のことを書いた。今回は、経済学部で過ごした2年半を取り上げたい。
しかし、いざ原稿を書こうとしたところ、全般にわたる総括が思いのほか難しいことに気がついた。前期課程と比べて経済学部での生活は比較的最近のことで、細部の記憶が鮮明に残っている分、かえって全体を俯瞰するのが難しいためである。そこでこの記事では、学部生活で最も重要だったゼミでの学びにテーマを絞って、振り返ることにしたい。
目次
前提として
経済学部は1学年あたりの人数が300名以上と、東大の中でも比較的学生数が多い。そのため、学生は大半の単位を大規模講義で取得することになる。そのような環境において、ゼミは学生にとって貴重な少人数での学習の場であると同時に、所属するコミュニティとしての側面も持っている。経済学部には40程度のゼミがあり、3年次になって本郷の後期課程に進学した学生は、多くが自身の興味に基づきゼミに入る。私も2つのゼミに参加し、それぞれで卒業までの2年間を過ごした。
1つ目のゼミ
分野はマクロ経済学である。人数は1年目が15名、2年目が25名で、比較的規模の大きいゼミだった。内容は大きく分けて、①教科書の輪読、②個人での発表、③グループワークの3つであった。
教科書の輪読
毎回の担当者がスライドで発表し、その後質疑応答やディスカッションをするという標準的な方法がとられた。使用した教科書は次の通り。
- 1年目の夏学期: ゼミ教員の書いたマクロ経済学の教科書
- 1年目の秋学期: ブルネルマイヤー&レイス『マクロ金融危機入門』
- 2年目の夏学期: ゼミ教員の書いたマクロ経済学の教科書
- 2年目の秋学期: 白塚重典『金融政策』
また、ゼミ生同士の勉強会では、北尾・砂川・山田『定量的マクロ経済学と数値計算』、エンダース『実証のための計量時系列分析』、Gali『Monetary Policy, Inflation, and the Business Cycle』などを読んだ1。ゼミや勉強会での輪読を通じて、漫然と授業に出席している時間よりもずっと多くのことを学んだように思う。
個人発表
個人での発表は、学期に一度順番が回ってきた。要求事項は「何らかの経済学のモデルを使い、実際の経済現象を分析すること」のみで、具体的なテーマ設定は各自に任されていた。私は次のようなテーマで発表した。
- 1年目の夏学期: 遺伝子検査は保険を変えるか(非対称情報のモデル)
- 1年目の秋学期: 賃金カーブのフラット化とマクロ経済(世代重複モデル)
- 2年目の夏学期: 価格の離散性と物価(ニューケインジアン・モデル)
- 2年目の秋学期: 大学政策の効果分析(差分の差分モデル)
グループ発表
他大学のゼミとの合同発表会では、グループでの発表を行った。私の場合は、1年目の冬に、同学年のゼミ生と2人で日本の半導体産業の景気循環について発表した。私の分担はVARモデルを使った分析だった。こうした個人発表やグループ発表は、学んだ手法を実際の分析に使ってみる貴重な機会になった。
2つ目のゼミ
ミクロ経済学を専門とする教員のゼミだが、扱う分野は年度ごとに変わった。1つ目のゼミよりも小規模で、学生数は1年目が5名、2年目が4名だった。主に教科書などの輪読を行った。
1年目
Stokey & Lucas『Recursive Methods in Economic Dynamics』を輪読した2。この本は、マクロ経済のモデルを解くためによく使われる動的計画法という数理手法についての教科書だが、ゼミでは必要な前提知識の章を読むことに多くの時間が費やされた。具体的には、秋にかけて距離空間、測度論、マルコフ連鎖などの章を読み、冬には不確実性下での動的計画法についての章を読んだ。
1年目のメンバーは、私を除くと、博士課程生が3名と、一度社会人を経験してから再入学した学部4年生が1名という構成だった。そのため自分の知識や思考力のレベルは先輩方には遠く及ばず、議論についていけないことも多かったが、その分だけ勉強にもなった。また、数学書を読んだのも、数学のセミナー形式での輪読に参加したのも、このゼミが初めてだった。数学用語として特徴的な言い回しだけを知っていた「ほとんど至るところ」が、実際に何を表現しているのかを知ったときには感動した。自分が担当した定理のいくつかもよく覚えている。
2年目
この年は、数値シミュレーションの手法やコーディングを学ぶという共通のテーマのもと、各自が好きな教材を選んで発表する形式だった。私はQuantEconというオンラインの講義ノート・ライブラリを扱った。同Webサイトには経済学の様々なモデルの解説とシミュレーションのコードが掲載されており、私は主に資産価格についてのパートを発表した。
2年目は学部3年生と4年生がそれぞれ2名ずつだった。各人の興味分野が異なっていたため、他のゼミ生の発表を聞くのが楽しかった。自分の発表では、理解に曖昧な部分があるとすぐに教員から質問が飛んできて、発表をするごとに自分が何を理解していないのかが明らかになった。モデルの経済学的な面白さは感じたが、肝心のコーディングについてはLLMに頼り切りになってしまい、自分の技術はほとんど進歩しなかったのが残念だった。
経済学部で学んだこと
学部の授業や上記のようなゼミを通じて自分が学んだことのうち、大切だと思われることをいくつか書いておきたい。
経済学について
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経済学はモデルの学問である
経済学の定義としては、Robbinsによる希少性を用いた定義3が有名で、進学して最初のころに授業でも耳にした。しかし最近考えているのは、経済学は方法の面からも大きく特徴づけられるのではないか、ということである。経済学は「複雑な現実を、より単純な数理モデルで描写することを通じて、現実の社会現象を解明しようとする」という特徴を有している。そして、そのことが経済学の強みであり、同時に限界でもあるように思える。 -
モデルを見たときには、仮定に注目すべし
経済学がモデルの学問である以上、その理論は何らかの仮定の上で結論を導くものである。進学した当初は、新しいモデルを見たときに真っ先に結論に注目していた。しかし、しばらく学んでいるうちに、実は仮定を検討することのほうが、より重要なのではないかと気づいた。つまり、重要なのは、①そのモデルの仮定は現実のどのような要素を抽出しているか、②逆に、どのような要素を捨象しているか、③その仮定の置き方は、分析の目的に照らして妥当か否か――という3点を見極めることである。 -
数式と直観のバランスが大切である
これは言葉の通りである。理解を深める上で、どちらかだけが先行するのは健全ではない。もっとも、このようなことは経済学に限らず、数理的な手法を用いる領域ではよく言われているのかもしれない。似たようなことが様々な言葉で表現されるのを目にしたことがある。「数式とお気持ち」「技と心」「シンタックスとセマンティクス」などがその例である。 -
しかしながら、以上のような経済学の理論観は歴史性を持つものである
ここでの「歴史性」とは、それらが時間を通じた普遍性を持っているわけではなく、むしろ時代に特有の考え方だという意味である。科学哲学では、最初の項目で触れたような、理論を現実の簡潔な描写とみなす考え方や、現実を解明するための手段とみなす考え方は、それぞれ約束主義や道具主義と呼ばれるそうである。そして、経済学の歴史の中で、これらが常に支配的な考え方であったわけではない。同じことは未来に向かっても言えよう。
勉強のしかたについて
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「物事を多様な抽象度で説明できること」は理解度の重要な尺度の一つである
「理解」をどう定義するのかは難しい問題だが、自分の理解度を知るためには、説明のスケールを変えられるかどうかが一つの尺度になる。つまり、一つ一つの式変形を追いかけることができ、同時に「そのモデルが結局何を言っているのか」も説明できるとき、理解の程度は高いと言える。 -
発表や質疑応答は「自分が何を理解していて、何を理解していないのか」を理解するためのプロセスである
したがって、何か質問や指摘を受けたときに知ったふりをする、あるいは自分の理解を取り繕おうとするのは、二つの意味で有益ではない。一つは長期的な視点において、自分がどこまで理解しているのか自分でも分からなくなることである。これは、その後の学習に重大な悪影響を及ぼす。もう一つは短期的な視点において、質問者に理解の浅さが露呈し、より指摘が厳しくなることである。よく忘れそうになることだが、厳しいツッコミを入れてくる教員は学生の理解を促すためにそのようにしているのであって、決して学生の敵ではない(!)。
その他
- 人はみなそれぞれすごい
私は内向的な人間で、他者と関わった経験が極端に少ない。高校時代はコロナの影響で自宅に引きこもっていたし、大学に入ってからもサークルなどの学生団体に一度も所属しなかった。そんな私がゼミで少ないながらも人と関わったことで、人間には様々な側面があって、それぞれの人に尊敬できるところがある、ということに気づいた。あるいは、これがゼミに所属して学んだ中で最も大切なことだったかもしれない。
以上が後期課程の振り返りである。次回は、このシリーズの締めくくりとして、より客観的な視点で経済学部の紹介を書いてみたいと思っている。