前回の記事では、2022年4月に大学に入学するまでのことを書いた。
今回は、入学後の1年半について振り返ってみる。
目次
入学直後
東大の1、2年生は、基本的に駒場で授業を受けることになっている。駒場キャンパスは渋谷から西に2駅のところにあり、閑静な住宅街に囲まれたこぢんまりとした場所である。中学・高校の6年間を同じ駒場で過ごした私にとって、キャンパスへの通学は、新生活の始まりというより、むしろ都会の予備校生活を経てふるさとへ戻ってきたような感覚だった。
実際、大学には知り合いも多かった。当時は、1年先に入学した人を含めて、高校同期の半分以上が駒場にいたからである。昼休みに少し学内を歩いていると、すぐに見知った顔に出くわし、よく立ち話になった。こうした環境に置かれていたため、新入生に特有の「何としてでも周囲の人と繋がりを作らなければ」という切迫感はなかった。新歓にもいくつか顔を出したが、あまり雰囲気がしっくりこないという程度の理由ですぐに行かなくなってしまった。そして、これ以降の大学生活を通じても、ついに一度もサークルに所属することはなかった。
それ以外の細かいことは、もう4年も経つのでほとんど忘れてしまった。時間割を見返してみると、最初の学期には週に15コマの授業を履修していたようだ。第二外国語として選択したドイツ語の授業を週に5コマ履修し、それ以外は必修や選択必修の科目を中心に取っていた。最初のころはほとんどの授業に出席していた覚えがあるので、それなりに学業中心の生活を送っていたのだろう。少なくとも、この時期に何か課外活動をした記憶は残っていない。
その後の生活
大学に入ってからしばらく経つと、周囲の環境や自身の生活には以下のような変化があった。
- 入学当初は、同じクラスで仲のよい人と一緒に授業を受けたり、昼食を食べたりすることが多かった。しかし、彼らがクラス以外のコミュニティに属するようになると、次第に疎遠になっていった。
- 後期に入ると、高校の同期で1年先に入学した人たちが、進学に伴って別のキャンパスに移った。それにより、学内で知り合いと会う頻度が減った。
- 進学に必要な単位の修得に目処が立ってくると、履修するコマ数が減った。同時に、履修はするが出席しないという授業も多くなり、空き時間が増えた。
思い返してみれば、こうした状況の変化は、私に孤独をもたらし、同時に自由を与えてくれたように思われる。人が自由であるとはどういうことか、あるいは自由であることがどういった価値を持つか、といったことを実感できたのはこの時期だった。元を辿れば、このように自由を感じ取る感性を育ててくれたのは、「自由闊達な校風」や「駒場の自由」などと呼ばれる中学・高校時代の環境だったのだろうとも思う。
2年生になったころの日々の生活は、概ね次のようなものだった。授業は1日に1コマか、多くても2コマだった。昼には近所のスーパーへ昼食を買いに行った。メニューはほとんどいつも同じで、食パン4枚かクロワッサン4つと、インスタントのスープパスタだった。それ以外の時間は、キャンパスの人の少ない場所で寝たり、本を読んだりして過ごしていた。コミュニケーション・プラザ和館の縁側、キャンパス・プラザの屋上など、学内の静かで快適に過ごせる場所にも詳しくなった。
学業のこと
大学受験のころに生じた、机に向かって勉強することができないという症状は、前期課程の間も続いていた。依然として心身の調子には波があり、免疫力も低下していたのか、この時期には特に頻繁に風邪を引いたことを覚えている。前期課程の間にあった3回の期末試験のうち、1回は新型コロナウイルスの、もう1回はインフルエンザの感染期間と重なってしまい、成績に相当の悪影響があった。思考力や記憶力も、まだ本調子とは言いがたい状態だった。
一方で、自由な環境により、徐々に心身が癒されていくのも感じていた。授業に出て教員の話を聞くのは苦ではなく、期末試験の前になると、気合を入れれば授業の復習などの試験勉強をすることができた。腰痛や頭痛に悩まされる頻度も減った。勉強のリハビリとして資格の学習を始めたのもこのころで、ドイツ語の検定や統計検定などを受けた。
印象に残っている授業
ここでは、前期課程で受けた授業のなかで、特に印象深いものを取り上げる。
初年次ゼミナール文科
1年生の夏学期に受けた、ゼミ形式の必修科目。学術的な問いの立て方、資料の集め方、レポートの書き方など、いわゆるアカデミック・スキルを学ぶための授業である。この目的だけを見るとごく一般的な初年次教育だが、この授業の特徴は、具体的に扱う内容をそれぞれの担当教員が独自に決めていることにある。
私が選んだのは三村太郎先生(専門はイスラーム科学史)の授業で、その内容は井筒俊彦『クルアーンにおける神と人間』の講読だった。井筒はイスラーム研究の大家で、独自の「意味論的方法」をクルアーンに適用して精緻に読解したのが同書であるとのことだった。この時期、高校までと大きく変わらないような授業に飽きつつあった私にとって、初めて「大学らしい学び」に触れることができたこの授業は、とても新鮮なものだった。 大学で最初のレポートを書いたのも、この授業の期末課題だった。夏休みの最初の数日を、図書館に缶詰になって過ごしたのをよく覚えている。
比較思想
講義題目は「初期仏教の聖典とその思想」。そのテーマの通り、初期仏教の聖典を読みつつ、当時の仏教思想を同時代のインドの宗教(バラモン教、ヒンドゥー教、ジャイナ教など)の思想と比較する内容だった。担当は八尾史先生で、本郷の印哲の先生だった。
一般の学生向けの授業なので、聖典を読むとは言っても、当然配られるのは日本語訳のプリントである。それでも、テクストの重要な箇所では、原語のパーリ語やサンスクリット語ではどんな単語が使われていて、それがどういう意味を持つのかについて解説が入った。授業後のリアクションペーパーに対して翌週の冒頭で必ずリプライがあり、自分の書いた質問が読まれるとうれしかった。また、こういった分野の学者は、自身の置かれた歴史的位置をとてつもなく大きな時間スケールで把握するのだなと思った記憶がある。
数理科学概論Ⅱ・Ⅲ
数理科学概論は文科の学生のみが履修できる数学の授業で、駒場の数学科の教員が担当していた。
Ⅱは線型代数の授業で、行列と線型写像、固有値と固有ベクトル、正方行列の対角化など一般的な内容だった。担当は逆井卓也先生。初学者向けの説明が分かりやすかった。それ以前の選択必修の数学の授業では主に行列の計算規則を習っていた。そのため、この講義で行列が線型写像と一対一で対応することを初めて教わり、特に二次元の場合について黒板に図示されたときには、一種のカタルシスを感じた。
Ⅲは毎年度の担当教員ごとにテーマを設定しているようで、私の年は実数の構成とp進数についての講義だった。担当は高木俊輔先生。当時紙で取っていたノートを紛失してしまったので全体像は思い出せない。しかし、講義の前半で実数の連続性の公理には同値なものが5つか6つあると説明され、一つ一つの公理の解説と、それらが同値であることの証明が授業3回分かけて行われたことは覚えている。途中で一度授業を休んだことで、まったく内容が分からなくなり、出席をやめてしまったのが残念だった。
社会科学ゼミナール(経済・統計)
ミクロ経済学の少人数講義で、選択必修の授業で基礎を学んだ学生を対象として、応用的なトピックが扱われた。担当は竹野太三先生。主なトピックは、価格理論の厳密化と、不完全競争や国際貿易のモデルだった。
この授業は、経済学部への進学を決めた時期に、少しでも経済学を学んでおきたいと考えて履修した。数理モデルを用いて経済現象を考える、という経済学の方法に初めて触れた授業だった。特に国際貿易の分野は興味深く、最初にHeckscher–Ohlinモデルを習ったときは見事なモデルだと感心した。また、長い間数学に苦手意識を持っていた私にとって、数学的に厳密にモデルを構築したほうがむしろ直観的な見通しが良くなる場合が多いと気づけたことは、その後の学びにも有益だった。
進学選択
東大の学生は入学当初は教養学部に所属し、2年次に行われる進学選択を経て、3年次以降は専門の各学部に進む。私の場合、入学したのは教養学部の文科二類、卒業するのは経済学部経済学科である。
1回目の記事にも書いたとおり、私は当初、経済学部に進むつもりで文二に入った。全体の人数を見ても、文二の学生数に対して経済学部の指定枠は6割ほど確保されており、特別な希望のない文二の学生はたいてい経済学部へ進学する、という雰囲気だった。しかし、入学してしばらくすると、他の学部・学科への進学も選択肢に入ってきた。
この頃になると、大学で学ぶことや研究することを現実的な目線で見ることができるようになり、学問への憧れを捨てなければならない、という入学前のこだわりは薄れていた。将来学者になることはないにせよ、学部卒業後すぐには就職せず、しばらく大学に残って研究をするのも悪くないかもしれないと思い始めていたのである。そのような気持ちの変化のなか、経済学部以外の進学先を調べているうちに、2つの候補が出てきた。両方とも学際性を特徴とする少人数の学科・コースで、一つは社会科学のなかで諸分野を横断的に学ぶコース、もう一つは文科生の進学枠を設けている情報系の学科であった。
しかし、結局のところ、私は大多数の文二生と同じく経済学部へ進学した。その理由は二つあった。
一つ目は、自分にとっての大学教育の意味についてである。思案の末、それは学問分野に特徴的な枠組みを体得することにあるのではないか、と思い至った。各分野において生産される知識は日進月歩で、将来的に高等教育の場から離れれば、次第に自分の持つ知識が古びてしまうことは避けられないだろう。一方で、分野に固有のものの見方や考え方は、知識自体よりも普遍性が高く、より長期にわたって通用するのではないかと考えた。
その点では、学際性を掲げる2つの学科・コースよりも、むしろ伝統的なカリキュラムに則った教育が行われる経済学部のほうが、自分の目的に合致しているように思われた。経済学が巷でしばしば教条主義的だと批判されるのも、それだけ経済学が確固たる方法論を有していることの裏付けだと感じられた。
二つ目は、進学に必要な成績に関することである。進学選択の際には、進学先ごとに定員が定められている。定員に対して進学希望者数が多い場合には、前期課程の成績上位者から順に内定が決まることになっている。したがって、候補に挙がった2つのコースのように、定員が少ない進学先ほど、ボーダーラインは高い傾向にある。
私の成績は、幸いどの進学先候補にも問題なく内定できそうなものだった。しかし、問題になったのが「せっかく点数が高いのだから、相応の点数が要求される進学先を選ばなければ損だ」という考えである。私は、純粋に自身の興味に従って進学先を選び、こうした動機は考慮に入れないことにしていた。しかし同時に、こうした動機が自分のなかにあることもまた、否定できないと思った。そこで、あえて必要な点数の低い進学先を選ぶことが、純粋に自らの興味に従っていることの何よりの証明になると考えたのである。
こうして、2023年の8月に経済学部への進学が決まった。