先日、所属する学部から卒業が決定した旨の通知を受け、3月末で大学を卒業することになった。
人生の節目に過去を振り返る文章を書いたのは、5年前の受験記が最後である。そこで、この機会に、その後の5年間のことを文章にまとめておくことにした。
初回は大学入学前の1年間について振り返る。どのような経緯で大学に入学するに至ったのかを書いてみたい。
なお、以降このシリーズの記事は、普段にも増して私的な内容を多く含んでいることをご承知おきいただきたい。
目次
一度目の受験
私は高校を卒業した年である2021年の大学入試に合格することができず、1年間の浪人を経て、2022年に東京大学の文科二類に入学した。 実は、2021年の入試では、同じ東大の文科一類を受験していた。文一に所属する学生の大半は、その後法学部へと進学する。私も将来的には法学部で学びたいという意思があり、そのための近道と思われた文一を受験したのである。
なぜ法学部に進みたいと考えていたのか。当時の気持ちを思い返してみると、その理由は次の4つに集約できる。
- 自然を対象とした科学よりも、人間や社会を対象とした科学に興味があったこと。
- それ以前から数学が大の苦手だったため、自分には数理的な論証を重視する学問よりも、ことばによる論証を重視する学問のほうが向いていると考えていたこと。
- 東大の文系諸学部のなかで、歴史的にみて最も正統性や権威性を帯びているのは法学部であるように見えたこと(私は権威が好きである)。
- 高校時代から興味を持っていた法哲学や倫理学を専門的に学べる学部の一つであったこと。
もっとも、当時の考えはより漠然としたものであったし、その中には今では思い出すことのできない動機もあるだろう。ともあれ、以上のような理由から、私は一度目の受験では法学部へとつながる文科一類を受験し、残念ながら不合格となってしまった。
不合格となった経緯については、受験直後に書いたブログ記事1にまとめている。今でも、この記事で書いたことは大きく外れていなかったと感じるが、一つ見逃していたのは新型コロナウイルスの影響である。その頃の事情を端的にまとめると、次のように説明できそうだ。当時、日常のうちで大きな比重を占めていた学校生活がコロナの影響で一変した。その結果、私は心身に不調をきたして抑うつ状態に陥り、受験勉強がまったく手につかなくなってしまったのである。
二度目の受験
入学できる大学がなく、かといって就職する覚悟もなかった私は、必然的に浪人生になった。2021年の4月からは、お茶の水にある駿台予備学校に通う生活が始まった。
次の入試で受験する科類は、夏ごろには文科二類にすると決めていたと記憶している。そのような結論に至るまでには、いくつかの段階を経ていた。
まず、「学問」に対する漠然とした憧れから決別しようと考えた。
- そもそも学問の道を志すならば、その前段階である大学入試などは簡単に突破しなければならないだろう。ゆえに、大学入試に失敗した自分には、学問をする資格などないと思った。
- また、入試にわずかな点差で不合格になったことも、その思いを強めた。つまり、まったく点数が足りなかったのならば単に己の努力不足と捉えられただろうが、当落線上にいて落ちたという事実を、私は「あなたは学問をするべきではない」という意味であると解釈した。
- さらに、自身を客観的に見ても、机の前に座って本を開くことさえ難しくなってしまった精神状態では、大学に入って何かを真剣に学ぶことは難しいだろうと思われた。
次に、大学に行くのが学問のためでないとすれば、それは何のためだろうかと考えた。それまでは、学部卒業後には自分は大学院に進学するのだろうと、当たり前のように思っていた。しかし、大学で学問を修めないのであれば、卒業後は就職をすることになる。すると大学へは就職のために行くのだから、世間で「就職予備校」と揶揄されているような学部での生活が、自分にはふさわしいと思った。
そして、上記のような目的で進学するにあたって、どの学部ないし科類がよいかを検討した。一度目の入試で受験した文一は、学問からの決別という意味でも、最初に候補から外れた。文学部へ進む学生が多い文三も、何か学びたいことが明確にある人が入学する科類というイメージがあり、やはり選択肢にはならなかった。自然と受験先は文二に決まった。
文二の学生の多くは、進学選択で経済学部へ進む。当時の私の(偏った)見方では、経済学部とは、特にやりたいことがない人が就職までのモラトリアムを享受するために在籍する場所だった。もちろん、経済学という分野は、他の分野と同じく深奥を究めるに値するのだろうとは想像していたが、経済「学部」は決して経済「学」を修めるところではなく、数ある学部のなかで最も就職予備校に近いだろうと考えた。
つまり、一度目の受験に失敗したことで、私は自分には学問の道に進む資格がないと考えた。しかし、中高時代の長い期間をかけて形成された、「学問は高度で価値が高く、反対に金儲けは価値が低いものだ」という意識は残っていた。よって、その意識は変えるべきものだと考え、大げさに言えば自罰行為あるいは自傷行為として、最も就職に直結していると考えた文二への入学を決めたのである。
予備校生活
浪人期の生活は、当時の主観としては、比較的楽しいものだった。浪人生というのは、大学に合格することがほとんど唯一のゴールであり、それを目指し続けるがゆえに存在を許されているような身分である。そうした環境では、人は行き詰まりを感じやすい。一方で自分の場合は、受験一年目の時点で成績が合格ラインの付近にあり、一年間予備校に通って授業さえ受けていれば、間違いなく翌年度の入試には合格できるだろうと思っていた。そのため、こうした閉塞感はあまり感じず、趣味を楽しむ余裕もあった。鉄道乗りつぶしを始めたのはこのころで、頻繁に授業を抜け出しては電車に乗りに行っていた。
しかし、相変わらず自分から机に向かって勉強することは難しかった。予備校の自習室に通い、授業の予習や復習をしようと試みたことは何度かあったが、継続はできなかった。長期休みに入って授業がなくなると、一日中ベッドの上で過ごすような生活に戻った。そのせいで、20歳にして慢性的な腰痛を抱えるようになってしまった。こうした心身の不調からは、その後の大学生活を通じて、少しずつ回復していくことになる。
以上のような経緯で、私は2022年の4月に文科二類へ入学した。